鳥取地方裁判所 昭和46年(む)52号 決定 1971年5月14日
主文
本件勾留取消請求を却下する。
理由
本件勾留取消請求の趣旨及び理由は、弁護人前田修の別紙勾留取消決定申立書記載のとおりである。
一件記録によれば、被告人は、「木下博敏と共謀のうえ、常習として昭和四六年一月一九日午前三時二〇分頃、鳥取市永楽温泉町一〇五番地モナコパチンコ店横路上において、居川友幸、居川勝及び河崎幸広を長さ八八センチメートルの鉄パイプで殴打し、ついで同市末広温泉町三〇六番地麻雀店「毎日荘」において、ファンタの空瓶で右三名の頭部を各一回強打し、さらに右三名を蹴るなどの暴行を加え、よつて居川勝に対し約一〇日間の加療を要する頭部挫創等の、居川友幸に対し約七日間の加療を要する左頸部挫創等の各傷害を負わせたものである」との暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条ノ三違反被疑事実で昭和四六年一月二一日鳥取簡易裁判所裁判官森田富人発布の勾留状により勾留され、同月二八日右事実(但し共謀の部分を除く)を公訴事実として鳥取地方裁判所に公訴が提起されたが、同年三月一一日付保釈決定により翌一二日釈放されたこと、ところが同年四月一九日「木下博敏と共謀のうえ、同年四月五日午前一一時頃、同市栄町五〇六番地喫茶店「チロル」前路上において、中居義一の顔面をこもごも手拳で殴打したり、腹部を蹴りつける等の暴行を加えたものである」との事実を、書面ですでに公訴提起の前記訴因に追加する旨の訴因変更請求がなされ、同日鳥取地方裁判所裁判官平田勝美は職権で右追加的訴因変更に係る事実により勾留状を発布し、これにより勾留がなされたこと、右両事実は一体として常習一罪の関係にあることが認められ、右訴因変更請求の段階で一個の罪につき二重の勾留がなされていることは弁護人の所論のとおりである。
常習一罪につき保釈中の者がさらにこれと一罪の関係にあると見られる罪を犯した場合、後者につき訴因変更前の勾留が許されるか否か、仮にこれが肯認された場合、右勾留が訴因変更請求により何等かの影響を受けるか否かについて検討する。常習一罪の実体的事実の変化があつた場合、どの段階を標準として裁判すべきかは、本来罪数は訴訟上の問題であるから、訴訟の発展段階に応じ、個々の訴訟制度の目的、趣旨等に照し、合理的に決すべきであるところ、前の勾留の被疑事実と後の勾留のそれとは社会的には一応別個の事実と見られるうえ、訴因変更前の勾留における、被疑者の逃亡、罪証隠滅を防止するという捜査の合目的性を考慮に容れれば、訴因変更前の勾留の段階においては、両者は別罪の関係にあり、したがつて各別に勾留することは許されると解する。しかしながら、勾留の被疑事実が追加的に訴因変更請求された場合或は追加的訴因変更請求と同時に職権で訴因変更に係る事実により勾留がなされた場合には、訴因変更請求を境にして勾留の性質に差異を来たし、最早捜査の合目的性の要請も消滅しているうえ、両勾留の被疑事実は一体として常習一罪の関係にあるとして審判の対象とされたのであるから勾留も右関係に添つて処置すべきである。ところで、このような場合、後の勾留は二重勾留となつて違法であるからこれを取消すべきであるとか、後の勾留をもつてさきになされた保釈取消がなされたものと見るべきであるとの説があるけれども、いずれも後の勾留の基礎となつた事実につき新に生じた勾留の理由及び必要性を正面から評価せず、他に転じている嫌が認められ、右観点に立てば、むしろ前の勾留は、訴因変更請求時或は訴因変更請求と同時になされた勾留決定(或は命令)時において、後の勾留決定により取消されたと解するのが相当である(勾留期間は訴因変更請求の日或は訴因変更請求に係る事実により勾留決定の日から二月間と解する)。
そうだとすると、昭和四六年一月二一日裁判官森田富人発布の勾留は、同年四月一九日裁判官平田勝美がなした勾留の裁判により取消されたものというべく、後者の勾留状に基く勾留には弁護人主張のような違法は存しないし、また、勾留の理由(刑訴法第六〇条第一項第一、二号に該当する事由)及び必要性も認められるので、結局弁護人の本件請求は却下を免れない。(大下倉保四朗)